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2008.1.18(金) 
第46回 太平記の世界   中山道を米原から柏原へ 
メンバー7名:浜村・竹村・浅井・奥村・西川・竹内・清水 
集合場所まで 生駒駅
奈良線・快急
西大寺
京都線・急行
京都駅
徒歩
JR京都駅
JR快速
米原駅
8:23 8:31〜8:38 9:18 9:31 10:24
コース:米原駅〜番場宿(蓮華寺・六波羅探題終焉の地・忠太郎地蔵)〜醒ヶ井宿(日本武尊の故地)〜徳源院(京極氏菩提寺)〜柏原駅
今回は表題を「太平記の世界」と銘打ち、浜村君のご案内で米原から柏原までを7名で歩いた。
先日から寒波が来襲しており、寒さを心配しての出発だったがどうしてどうして素晴らしいポカポカ陽気の天気で日頃の精進のよさが証明された次第。
京都駅で奥村君・浅井君と同じ電車に乗る。
他の4人のメンバーは先に行った様だ。

10:45

電車は15分遅れで米原駅に着いた。
スタートするとすぐに「深坂道」の案内標識。

「深坂道」:永禄四年(1561)六角方の吉田安芸守が守る太尾山城を、
浅井長政方の今井定清がこの深坂から攻め込んだが失敗に終わったという記録がある。
慶長十六年(1611)北村源十郎が中山道番場宿を結ぶ深坂道を開き、美濃や尾張からの荷が、米原湊に集積され、
丸子船で大津を経て京都へ人や物が運ばれるようになった。


右中山道、左北陸道 と

深坂道の説明板

途中、米原高校を左手に見ながら歩いていると、なんと右手の林から猿の群れ。騒いでいるだけならまだしも、小屋の屋根の上でオスザルがメスザルの上に乗ってやってくれるではないか!!

空には飛行船が優雅に浮かんでいる。
奈良の空でも時々見かけるが、試験飛行でもしているのか? 興味のある方は135分18万円で吉野千本桜・飛鳥の空をいかがですか? 今年3月20日から5月7日まで観光飛行できるようです。

飛行船が優雅に

11:35

番場宿、蓮華寺に着く。

蓮華寺山門(勅使門)

蓮華寺本堂

菊のご紋

死後の世界にもいろいろある

番場忠太郎地蔵尊

北条仲時以下432名の墓
蓮華寺では本堂に入れてもらって、住職さんのお話を聞く。
お寺の縁起・南北朝の戦争・長谷川伸の瞼の母等々の耳を傾けたくなるいいお話だった。
本堂の中に30分もいると冷え込みがひどい。上の写真の本堂の前の雪は正月の雪だとか。

蓮華寺縁起:当山は聖徳太子が創建せられ法隆寺と称していたが、建治2年6月1日雷火により焼失した。
その後、弘安7年の夏、一向上人(法然上人の法曽孫)諸国行脚の錫を留めて念仏を宣布して広く民衆を化導せらる。
時の領長(鎌刃)城主土肥三郎元頼公は深く上人に帰依して堂宇を再興し八葉山蓮華寺と改称して一向上人を開山と仰ぐ。
歴代天皇の帰依篤く、花園天皇より勅願寺院としての勅許を賜り、寺紋として菊の紋を下賜される。今は浄土宗に帰属して浄土宗本山である。

北条仲時:元弘3(1332)年、後醍醐天皇の鎌倉幕府打倒の兵に追われた六波羅探題(ろくはらたんだい)の仲時は、
この番場の地で一族432名とともに自刃し、当時の住職が弔いました。
寺には、戦死者の名を記した過去帳「陸波羅(ろくはら)南北過去帳」が重要文化財としてある。
 

番場宿を有名にしたのは長谷川伸の戯曲「瞼の母」の主人公番場忠太郎である。親子縁結びの地蔵尊として参拝する人が多いそうだ。
なぜ、番場の忠太郎か、長谷川伸に聞いた人がいたそうだ。
答えは、自分が幼いとき、ここの住職に飯を食わせて貰い世話になったからと。


13:30

茶屋道館にて小休憩。

茶屋道館にて

六軒茶屋説明板

幕府の天領であった醒ヶ井宿は、享保9年(1724年)大和郡山の飛び地領となった。
藩主・柳沢候は彦根班・枝折との境界を明示するため、中山道の北側に、同じ形の茶屋六軒を建てた。
この六軒茶屋は中山道の名所となり、安藤広重の浮世絵にも描かれている。
13:50

14:10
醒ヶ井宿着。

バイカモとか西行水とかいろんな見所がある。水がとてもきれい。

15:30

北畠具行遺跡。
中山道から少し山側に入ったところに北畠具行の墓はあった。

柏原宿の手前にて

北畠具行の墓
元弘(げんこう)の変(1331)で失脚した北畠具行の墓。徳源院(とくげんいん)(清滝寺)の南700m、丸山(285m)の山頂にあります。
後醍醐(ごだいご)天皇に仕えた具行は、鎌倉幕府打倒の謀議に度々加わり、その中心的存在でしたが笠置(かさぎ)落城の後に幕府方に捕らえられ、
鎌倉に護送される身となりました。

しかし、護送の途中、その人となりを惜しんだ京極道誉(きょうごくどうよ)(佐々木高氏)は、清滝寺(きよたきでら)に彼を留め、
1ヶ月余りにわたって幕府に具行の命乞いを続けました。
しかし、その願いも空しく、元弘2年(1332)6月19日にこの地で斬首され、その生涯を閉じました。
墓は高さ204cmの宝篋印塔で、死後16年を経て建立されました。

今もなお、6月19日の命日には、地元の人々によって手厚く供養されています。国指定の史跡です。

15:55

徳源院。
我々同級生の弟が住職だとか。

徳源院

鎌倉中期に近江を領していた佐々木氏が、六角氏、京極氏、高島氏、大原氏に分かれ本家に当たる六角氏は、
信長に滅ぼされたが、京極氏は、江戸時代も大名家としてつづいた。
霊通山清瀧寺徳源院は、この京極氏の菩提寺である。
寺は、京極家初代氏信の草創(1283)で寺号も氏信の法号の清瀧寺殿から称したものである。

16:10

この中山道柏原宿の真ん中に宮川君のお家がある。
奥村君が訪ねると彼はいた。

宮川君のすぐそばがJR柏原駅。
17:00 JR柏原駅から乗車。京都駅そばの居酒屋で風呂なし反省会。
22:00 自宅帰着。
本日の総歩行数:37,000歩。