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 2005/11/18(火)
第32回 同窓ハイク 清滝・高雄  
2005.11.18(金)西川君にご案内をお願いして京都、清滝・高雄を歩いた。
メンバーは西川・坪田・浅井・藤岡・浜村・奥村・竹内・清水の8名。
竹内君は仕事のやりくりで前日になってから「参加出来るようになった」と。
9:30
 京都駅前のC6バス乗り場に集合。
バスの切符を買うとワタシの切符は200円と70円、誰かさんの切符は90円が3枚。まちまちだ。

9:40
 平日のおかげでバスはゆっくり坐れた。

 バスから紅葉を期待して外を見るがいまいち、の感じ。
竹内君が「あのモミジは女性に譬えるなら何歳?」と尋ねる。「16歳だ、19歳だ」とかで彼の言う最高に美しい年齢の24〜25才がなかなかない。
要するにまだ少し時期が早いということか。
 
22歳の紅葉

10:35
 小1時間で清滝に着く。

途中西川君が「かくれみの」の話、「かくれみのの葉にはグー・チョキ・パーがある。」

「ムベ」の話、「ムベはアケビに似ているがアケビのように実が割れない。食べると下半身に勢いが出てきて子供がたくさん出来る。昔天智天皇?が子供が大勢居る村で“どうしてこの村には子供が多いのか”、と尋ねたらこのムベを食べているからだとの答えに“なるほど、ムベなるかな”とうなずいた」と。

いろいろ面白い話が聞ける。
浅井君メモを取っている。

10:40
 愛宕神社への鳥居を左に見て右側の道をとる。

愛宕神社の鳥居


11:45

 清滝川に沿って歩くと小さなダムがあり、そのダムに上れるように魚路。
魚路とは知らなかった、竹内君が教えてくれた。

写真左が魚路
12:40
 途中神護寺への道があるが、この辺から人が多くなる。平日なのにどうしたことだ。
団体さんも多い。

メシの場所を探す、川原に下りようとしてもどこかの寺の入り口を通過しないと下りられない、有料だ。

高山寺の手前に手ごろな土手を西川君が見つけてくれる。

 13:50

 高山寺境内を歩いて、バス乗り場へ。
JRバスがあるが、500円。市営バスは270円だったのに・・・。

バスを待っていると、その行列の人の多いのを見てか臨時バスが来た。

 15:00

 京都駅。
風呂に行くか直接反省会か相談するが、風呂の希望者は2名。
16:40
 本日は風呂ナシで銀座ライオンで反省会。
ビールでカンパーイ、ボージョレヌーボーでカンパーイ。
カイサーン。
18:40 自宅帰着。
2005/10/10 
 第31回 同窓ハイク 高野山
2005.10.10、空海の本家・高野山に登った。

(高野山=和歌山県の東北部の山で海抜985メートルの幽寂の地で空海が816年(弘仁7)真言宗の総本山金剛峯寺を創建した。
空海の入定後2代目真然が奥の院廟等の堂塔伽藍を建て、高野山は真言密教の大道場としてばかりでなく、
大師信仰の地となり、真言宗の信者以外にも信仰はひろがり、死者の遺骨や遺髪を奥の院に納める風習は現在も広く行われている。
一の橋から大師廟までの間の深い木立の中におびただしい数の墓碑、供養塔が立ち並び、
杉、槙、桧、樅、栂、松は高野6木として保護され、今も見事な森林が残されている。)


「はれの特異日」と言われる10月10日、「はれ」を信じて計画したのに・・・。
5時半  起床。
7時過ぎ  自宅スタート。雨は降っていないがなんとなくうっとおしい空模様。
8時前  南海難波駅に到着。すでに本日のメンバー竹内・竹村・坪田・浜村君が待っていてくれた。


10時前
 極楽橋駅着。もう、雨は降り始めている。カッパを着、折りたたみ傘を出す。

極楽橋にて
舗装された山道をしばらく歩くと「コウヤボウキ」と標札があり、「草ではなく立派な木」だと説明している。

11時過ぎ
ゆっくりゆっくり1時間ほど歩くと、「不動坂口女人堂」に着く。
女人堂からはバス道を街中に向けて歩く。30分ほどで「高室院」(タカムロイン)では竹村くんが「ここがたしか藤堂高虎のお寺だ」というのでそれらしき示すものを探すが見当たらない。

(高室院=空海が高野山を開創されてより三百数十年ほど後の鎌倉時代、村上天皇の血統を引く房海僧正によって、高室院は創建された。
戦国時代、天正年間に小田原城主北条氏直公が高室院に潜居してより、北条家の菩提所として小田原坊と呼ばれ、
現在でも特に関東の寺院、信者との関係が深い。
寺宝として行基菩薩真作本尊薬師如来(重文)、弘法大師御筆大威徳明王影、高野結界啓白文、十二天屏風、帆揚不動尊(重文)を蔵する。)

 境内には四国八十八ケ所巡りを模した、踏み場があり、竹内君が「本当に88あるかな?」と確認している。

12時前

 刈萱堂着。堂内には石童丸の生涯記が絵物語式に掲げられている。皆は熱心に読んでいた。

(石童丸=世の儚さに武士を捨て家族に別れた筑前苅萱の領主加藤左衛門繁氏の子。
 父が高野山に入り「苅萱道心」となり修業している処に、母と石童丸は父を尋ねて高野山に来たが、女人禁制の為に母は麓に残り、石童丸一人が父に会う。
ところが父は我が子と知りつつ、「そなたの父は死んだ」と告げ帰らせた。
下山すると既に母は病死をしており、郷里の姉も亡くなり、再び高野山に入り出家する哀話の主人公。
密教の厳しい修業の物語。)
 
 刈萱堂を過ぎるとすぐに一の橋。ここから奥の院に向けて天台宗のはずの徳川家のお墓他、無数の大名、企業のお墓、供養塔が林立している。
近年のものでは「鶴田浩二」の墓まであった。彼は特攻隊の生き残りだと浜村君たちが教えてくれた。

刈萱堂

鶴田浩二の墓

13時

 奥の院休憩所着。ここで昼食。

ある人は白ワインをある人は赤ワインをご持参いただいた。
竹内君、赤ワインの栓を抜いたとたんパーンとコルクの栓が天井まで飛んだ。われわれと共に周りの客まで「なにごと?」とこちらを向く。
皆でとはいえワインを2本も昼間から飲んで顔が真っ赤。

・食後は計画では森林公園のほうへ行く予定だったが、天候の関係で今日はもと来たコースを戻る。
・帰り道に往路のときの「高室院」(タカムロイン)について、竹村くんが「高野山観光協会」で若い事務員さんに「高室院は藤堂高虎と関係ありますか?」と確認すると「フジドウと書く人ですね、ならばそうです。」と答えてくれた。竹村君の記憶が正しくてホッと安心。
でも、「フジドウと書く人・・・」とは参ったね。若い人は藤堂高虎なんて知ってない。

(藤堂高虎=築城に長け、特に石垣・堀つくりが有名。
弘治2(1556)年、近江国犬上郡藤堂村(のち在士村、現滋賀県甲良町)に生まれた。
15歳の時、浅井氏に仕え、姉川合戦で初陣を飾って以来各地を転戦し、天正4(1576)年21才で長浜城主木下秀長(豊臣秀長)に3百石で召し抱えられ、天正13(1585)年には紀州粉川(和歌山県粉河町)ではじめて1万石の大名となった・・・。)
15時 女人堂着。

女人堂前のお竹地蔵

女人堂前の休憩所で
16時過ぎ  極楽橋駅着。
 
18時過ぎ

 難波駅に着き、チョット反省会。

(弘法大師=弘法とはご承知の如く仏法をひろめることで弘法大師とは空海への諡号(贈り名)。
確実性には問題があるが、空海は伝記によると、讃岐の善通寺に生まれ、俗姓は佐伯氏と言われる。

15才の時京に上り仏教を学び、次第に密教に傾倒するようになり、奥義を極めるべく804年(延暦23)最澄と共に入唐し、
翌805年(延暦24)最澄は帰朝して天台宗を開いたが、空海は唐の高僧恵果に師事するも、
師の死に当たり遺言により806年(大同1、33才)帰国して真言宗を始めた。

810年(弘仁1、37才)薬子の乱の後、嵯峨天皇より東大寺の別当に任ぜられ、
816年(弘仁7,43才)高野山に金剛峰寺を創建、823年(弘仁14、50才)東寺を賜り828年(天長5、55才)
綜芸種智院(我が国最初の普通教育機関)を創立するなど経世済民に尽くし835年(承和2、62才)の春没した。)
本日の歩行数:29,100歩、総歩行距離:約20Km。
2005/9/8(木) 
第30回 同窓ハイク・太閤道  

彦八ハイクも回を重ねて4年前の「生駒山」から今回で30回を数えた。
前回は6月の妙見山、そのあと幹事役の夏ばてと怠慢で3ヶ月ぶりの「太閤道」。
今回も西川君にご案内をお願いした。

10:00 阪急・水無瀬駅の集合、小生は地下鉄阿波座での人身事故により10分ほど遅れ、皆さんにご心配・ご迷惑をおかけしました。
集まったメンバーは浅井・植野・奥村・西川・浜村・藤岡・竹村・清水の8名。

竹村君は本日飛び込み出演。
会社での重役勤務も少しずつ調整して気ままに動けるように準備しているやにお見受けした。
来年6月には引退を予定しているとか・・・。

10:15、遅れてきた小生を迎え水無瀬駅を即スタート。
10:25、歩き始めてすぐに桜井駅に着く。
竹村君が昔の小学唱歌「青葉茂れる桜井の〜〜」と口ずさんでくれるが、そのあとが続かない。
1336年足利尊氏の大軍を迎え撃つために京都を発った楠正成が桜井駅で長子正行に遺訓を残し河内へと引きかえらせたことが
太平記に記されている。
このため桜井駅は「父子訣別の場」として広く知られるようになった。

と。

 10:50、若山神社入り口に着く。チョットここで全員集合写真を1枚。
 

若山神社本殿の前には、上の右写真のように狛犬が2対並んでいる。
狛犬博士の浅井君の事前調査によると、
以前は本殿は今の本殿のずーっと奥に建っていた。
その当時の狛犬が写真手前の小さいほうの狛犬であり、現本殿を建てるにあたり現狛犬の前に並べた
」らしい。

若山神社本殿の後ろから、いよいよ山道に入る。
 

付近一帯はツブラジイの林で、このシイ林をカシ林が取り囲んでいるような植生である。

台風一過の空は少しずつ“秋”が感じられるが、山道を歩いていると、ボタボタと汗が流れる。
今日の“マレーシアン”奥村君はトップグループを歩く。常連の浜村君がアンカー。

皆は小生の“病気”を心配してくれ話題に上る。藤岡君は小生のために健康情報誌「自然の力」を持ってきてくれた。
西川君が「最近はこのグループの話題が変わった。当初の頃の話題がまだ現役を卒業したばかりのため、
前の会社の話等が多かったが、今の話題は病気・健康にシフトしてきている
」と。
人間、年を重ねると各所にガタが来、関心事はどうしても健康になる。

植野・浜村・西川の3氏は健康?病気の話はなかった。

若山神社から歩いてすぐに右手にゴルフ場が出てくる。一組だけプレーしているのが見えた。

12:30、山頂三角点(315.5m)に着く。
 

三角点をはずれ少し見晴らしのよいところで昼食。
小生は上半身裸になる。首に巻いていたタオルを絞ると汗水が滴り落ちる。
昼食時には例によって食前酒!

13:20、スタート、食後は下り道でかなり楽だった。15分ほど下ると「金龍寺跡」

延暦9年(790年)創建のこの寺は最初「安満寺」といい、盛時には天皇の御幸があったほどの格式高い天台の名刹でした。
西行法師や能因法師も訪れて歌を詠んでいます。
能因法師の「山寺のはるの夕暮れ来てみれば入相の鐘に花ぞちりける」と言う歌は今も長唄「娘道成寺」に使われています。
一時衰退の後康保元年(964年)僧千観が再建し「金龍寺」と名前を変えました。


このあたり、モミジやイチョウがすばらしい・・・と西川君。

14:20、磐手橋バス停着。
待ち時間の間奥村君が彦根の沢君にケータイを入れる。チョット変わってもらって久しぶりに沢君と言葉を交わした。
“沢専務”なにもせんむで優雅なもんだとか。

14:45、JR高槻駅そばの“錦温泉”に行くと「営業は15:30から」・・・風呂屋の前で時間待ち。
その間藤岡君がサントリー時代の思い出話をしてくれた。
それぞれが楽しい・苦しい過去の歴史を持っている。

16:40、風呂から上がると阪急高槻駅まで歩き、本日のメインイベント?「ミュンヘン」でカンパーイ。
山で汗を流し、風呂で汗を流しすっきりと心地よいところでビールのうまいこと・・・。

18:15、解散。

皆さんお疲れさんでした。

                       本日の総歩行距離:約12Km。ドアツードアの総労働時間:12時間。