2015.5.18(月)  
番外 淀川 三十石船  
八軒家浜船着場~毛馬閘門~枚方船着場~鍵屋資料館  
関西金亀会の歴史街道歩こう会の25回目である。
集った総数は200名

担当は徳永氏を代表とする東11回。

我等彦八組の参加者は15人=竹村・江田・坪田・中城・中村・西川・橋本夫妻・濱村・松田・森田・山本(道)・山本(百)・藤岡・清水 
交通費
670円 
 生駒駅
コスモスクエア行き
谷四駅
地下鉄 
地下鉄天満橋駅 
 8:11 8:35 8:39  8:40
8:50

 天満橋駅から八軒家浜船着場に着く。

担当の11回代表徳永氏挨拶。

参加希望者が200名もあるため、一度の乗船叶わず3班に分けたとのこと。
(今日の上り・下りと25日に日を変えてと)

代表挨拶

説明を聞く 
9:25

 水上バスに乗り込む。

八軒家浜とはその当時ここの船着場には8軒の船宿があったからという。

船乗り場

水上バスに乗り込む
 
 定刻に出航。

ガイドは松永案内人。

出航すると毛馬閘門まで大川を進む。

この大川沿いのサクラはきれいだが、総数約4800本あるという。

見送られ 
 
松永案内人
【三十石船の由来】

伏見の町が日本の歴史の中で脚光を浴びるようになったのは、伏見を城家町として開花させ、京と大坂を結ぶ淀川水運の発着点として天下に知らしめた豊臣秀吉からです。
 徳川の初期、世相の安定とともに淀川で結ばれていた伏見・大阪間の交通機関として旅客専用の船“三十石船”が登場します。
米を三十石積めることから三十石船と呼ばれた。
 全長五十六尺(約17㍍)幅八尺三寸(約2.5㍍)乗客定員28人~30人、船頭は当初4人と決められていましたが、幕末には“早舟三十石船”が現れ船頭も4・5人~5・6人になり、上り下り共時間が短縮されました。


造幣局

帝国ホテル 

前方に閘門が見える
10:15
































 毛馬閘門の閘室に入る。
 
閘門の仕組み
 閘室の進行方向側の閘門が閉まっていると水位は低い。

閘門を開くと淀川の水が入り込んできて水位は上がる。(約1.3m )


 水位が低い
 
水位が上がった
 【上り船】

大阪には4つの船着き場(八軒家・淀屋橋・東横堀・道頓堀)があり、主として朝早く出て夕方には伏見に着くのが通例でした。
上り船は棹をさして上る所もありましたが、十一里余(約45㌔)を殆ど綱を引いて上ったことと思われます。
綱を引く場所は9カ所あって、何処から何処までと決められており、大変な労働と時間をかけて、伏見まで上ることになっていました。
 
鍵屋資料館の船曳の図
10:30


 約15分掛けて毛馬閘門を過ぎると淀川に出る。

松永案内人がダム湖に喩えるほど川の水はとても穏やかに流れている。
 
淀川に出る
 
三十石船唄
 枚方に着くまでに何艘かの砂船を見かけた。 

枚方大橋近くの砂船についてですが、コンクリート等に利用する川底の砂を採取するための船で、洪水の毎に淀川の上流から砂が流されてきて、淀川の下流域に溜まるためその砂を採取しています。
また砂を採取することで船が淀川をスムーズに行き来できるようになるため、国が砂の採取を許可しています。

砂船





12:12




 約2時間半かけて枚方船着場に着いた。

 記念撮影をして全体の解散。


明治18年(1885年) 低気圧による淀川大洪水。
枚方から下流の淀川南岸の堤防が次々に決壊し、府下の北・中河内郡、東成郡 及び大阪市街の約1万5,270町歩(約1万5,100ha)が最大13.3尺(約4m)浸水、 家屋流失1,631戸、同損壊1万5,491戸<淀川治水誌>の被害を出した。

 船着場
 下船するとすぐそばに水位観測所。

明治18年の大洪水の時にはこの塔の中ほどまで水位が来た、と。


水位観測所  
 堤防を上り自動車道には「明治18季洪水碑」。

その横には「郵便屋の渡し跡碑」。

明治18季洪水碑  
 
郵便屋の渡し跡碑

12:37
 堤防を下りるとすぐに「枚方市立鍵屋資料館」。

主屋は1811年(文化8年)の建物だとか。


枚方宿は東海道53次の延長として「京街道」が整備され、そこに伏見・淀・枚方・守口の4宿が加えられ大阪京橋までを「東海道57次」と言ったという。
 
鍵屋資料館
 内部には当時を知る資料が展示されていた。
 
格天井とランプ
 
くらわんか船
 13:25

 鍵屋を出て駅そばの喫茶店で我等彦八組はビールを一杯。

ここで第2次解散。

駅前の枚方宿碑 
14:30
 大阪淀屋橋へ出てT・T・F・N・M&Sの6名が「がんこ」でハンセー。
 18:40
 次いで「味のれん」でT氏とまたハンセー。

 21:23  帰宅。  オツカレサンでした。