2013.2.22(金) 第81回  伊勢街道ウオーク その1(16km)

参加者:4名(竹村・坪田・濱村・清水)
20年に一度の遷宮だと盛んにPRされています。
それに乗せられて「ええじゃないか、ええじゃないか」と伊勢街道を彦八メンバーで歩いてはいかがかと思いました。

この伊勢本街道は今の大阪市内から、生駒山暗がり峠⇒奈良⇒桜井⇒榛原⇒室生を経て伊勢へ向かう全長160Km 余。
期待に胸膨らませて大坂を旅立った人々は、まずは立ちはだかる生駒山を目指して東へと向かう。
 
10:15 JR玉造駅に集合したのは4名。
2月1日に一人で歩いたのに、道順がさっぱり思い起こせない。
案内役は完全に失格だ。 マップを頼りに道端の人に尋ね尋ね進む。
10:40 玉造稲荷神社に着く。
古来、(ぎょく)は権威の象徴として珍重されてきた。その玉を加工する集団、大陸から渡来してきたであろう玉造部(たまつくりべ)ゆかりの古い歴史を持つ。

近世は大坂近郊から伊勢を目指す参拝者はこの神社に寄り、旅の安全を祈願したという。
 
玉造神社
 
秀頼公寄進の鳥居(阪神大震災で壊れた)
 
豊臣秀頼公像
 
本殿・伊勢街道の旅起点の幕
 
伊勢迄歩講 170Km とある
 
玉造は上方漫才のふる里 とある






11:05
 玉造稲荷神社から東へ進みJR環状線のガードをくぐると「二軒茶屋跡」。

石碑の後ろの案内板には
「この付近は旧奈良街への大坂側からの入り口で街道の両側には、旅行者目当ての茶店があり俗に“二軒茶屋”と呼ばれて繁盛した。・・・・・」と。

二軒茶屋跡
11:14

 二軒茶屋跡から東へ進み、八坂神社。

その参道入り口には「暗越奈良街道」の石碑あり。

 「暗越奈良街道」の石碑
 
八坂神社
11:24
八坂神社から東へ進み新平野川を渡ると、喫茶店の前に道標あり。

 「暗越奈良街道」 
 
側面に「高麗橋から4.1km」と
11:28


 更に進み東成警察署のそばに暗がり越え奈良街道」の説明板。

説明板には「・・・ほぼ60年周期で爆発的に流行した伊勢参宮「お陰参り」のときは、1日7~8万人の旅人で賑わった・・・」とある。
 
説明板
11:38 東成警察署前の国道を渡ると、コンビニの横に「奈良街道」に関する説明板が沢山貼られている。

そこにはこの奈良街道をツアーで歩いていると思われる団体さんと行き当たる。
 
大きな標識
 
「シルクロードの終わるところ」と
 
奈良追分・尼辻の説明







11:55

 熊野大神宮。

“大神宮”とあるも「村社」だった。
 
参道の案内板
 
熊野大神宮
12:00


熊野大神宮から大通りへ出ると石標があった。

石標横の説明板には「道路の敷設に伴い昔の石標は置き場所を移転させられたため“右”“左”の向きはいい加減なものになっている」という意味のことが書かれていた。
 
石標
12:20
 先へ進み大通りから少し入り込んだところに法明寺。
 
法明寺
12:24 法明寺のすぐそばに深江稲荷神社。

大和笠縫(現・奈良県田原本町)からこの地へ移った笠縫氏は、代々菅笠作りを営んだという。
江戸時代に伊勢参りの参拝者はこの地で作られた菅笠をかぶって旅立った。 境内には笠縫氏の祖を祀る笠縫社がある。


深江稲荷神社

角谷一圭の生家

角谷一圭の生家
12:37 そろそろ腹が減ってきた。歴史の道道標を過ぎて「さくら公園」で昼食。
 
歴史の道道標
13:14
昼食後JRのガードをくぐり、長瀬川に向かう途中に高井田地蔵(清水地蔵とも言う)。

このあたり、「清水」姓が何故か多い。

高井田地蔵 

おじぞうさん
13:46

 天神社。

神社のそばにはお祭りで担がれる「地車庫」。

天神社 
 
地車庫
 13:55


 御厨行者堂。

この付近、町名が「御厨町」となっている。
御厨というからにはこの天神社のお台所の関係かな?と思っていたら・・・
 
御厨地蔵堂
 14:01




 植田家住宅があった。

そこの説明に「このお屋敷には暗越奈良街道を歩いてきた大和郡山藩の柳沢家が使用した」というようなことが書かれていた。

お大名のまかないをしていたところから付いた名前かな。
 
植田家住宅
14:39








 植田家から東へ進む。
道の両脇は町工場が次々と並んでいる。

もちの木地蔵。 その左横に灯篭。

天保2年(1831)に建てられたこの灯篭は、「おかげ灯篭」と呼ばれています。
江戸時代の終わり頃になると、幕府の政治に対して全国各地で百姓一揆や打ちこわしなどの事件が多く起こります。

慶応3年(1867)には一揆や打ちこわしに変わって「ええじゃないか」が秋から冬にかけて広がりました。
菱江の村も例外でなく・・・お札が降ったということで・・・「おかげおどり」が続けられました。
その踊りには、のぼりが準備され、三味線・笛・太鼓が使われました。
そして「ええじゃないか、ええじゃないか」とはやして踊りました。・・・

・・・
と説明板に。
 
もちの木地蔵
   おかげ灯篭から東へ進んでいると目の前に生駒山がグンと迫ってくる。
一歩一歩も歩けば進んでいるものだと実感する。

何の話からか竹村君が「むかし、クイズダービーに出ていた学者のタレントは誰だったかなあ誰だったかなあ~?」という。
みなは顔は思い出しているようだが、原たいらとか他の名前は出てくるが当人の名前が出てこない。
一番に名前が出てきたのが坪田君! ボケずに1番若かった。

あれやこれや雑談しながら疲れを紛らし、イトーヨーカドーで大休止。
15:20








 花園ラグビー場を右手に見て北へ進むと松原宿跡。 

松原というからには海があったのかなと思った。
説明板には

「・・・松原宿は旧大和川の分流吉野川と恩智川の間に位置し、古くから水運でも栄えた場所に当たります・・・」

と。
川岸に松並木があったのだろう。
 
松原宿跡
15:29



 松原宿跡ちょっと先の交差点に「左 大坂道」「右 いせ道」と道標がある。

ここで3~4人のおじさんが屯していた。 多分、小学生の下校の安全を守っているのだろう。

そのおじさん曰く「毎年12月28日にはここを伊勢参りの人々が大勢通る」と言っていた。
 
道標
15:52
 宝箱太鼓台収納庫を見て、あとすぐ近鉄枚岡駅だ。

このあたりで反省会の場所を探す。

なかなか、ない。

瓢箪山駅の方角へ進み、お好み焼きやへ飛び込む。
 
宝箱太鼓台収納庫
 16:10

17:45
 お好み焼きやでカンパーイ。

風邪気味の浜村君、靴下の合わない竹村君、歩き通せるか不安だった坪田君、みんなそれぞれゴールまで歩きとおしてくれました。 ありがとう。

次の機会はいつかな? 暗がり峠を越えて富雄駅まで頑張りましょう!!
19:00 帰着。
 本日の歩行数=約 35,806 歩